1.戦略を立てる
カギは解く順番と時間配分。数学(算数)は1番から解く必要なし。国語は問題文を先に読んでから文章を追うのもあり。
2.当日は、朝からテストモードに
朝食はテスト2時間前までに必ずとる。服装にも配慮。忘れ物がないかを余裕を持って確認する。
3.細部まで見る力が「テスト力」
最後まで問題を読む。答え方注意!(言葉か記号か、正しい記号か誤りの記号か)テストの中に答えはかくれている。
4.テストは見直しによって決まる
全体の7~8割の時間で問題を解き、残りの時間で見直す。一度書いた答えは忘れ、初めて解くつもりで見直す。
5.終わった教科は気にしない
気持ちをすぐに次の教科へと切り替える。友だちと答え合せは時間のムダ。あとのテストに悪影響する。
6.その他
「うまく」でなく「ていねい」に書く/漢字指定などに注意/誤字脱字・単位忘れ・大文字小文字などに注意/解答らんに絶対空らんを残さない/問題用紙に裏面がないかチェック…
ある中学受験専門塾の塾長が、学習・生活時間を調査したところ、小6の家庭学習は週平均15時間。塾関連の学習が週15時間。学校に通う時間を加えると、明らかに労働基準法の週40時間規定は超過している。小5はというと、家庭学習が週5時間以内という生徒が少なくない。まだ進級したばかりなので、「これからの指導次第」というのが正直な感想だ。
それ以上に驚いたのが、テレビの視聴時間だ。こちらは「週5時間程度」と「週15時間以上」に回答が集中。「ふたこぶラクダ」型のグラフになった。かといって、必ずしもテレビ視聴時間の長い生徒の成績が悪いとはいえない。特にアニメやお笑い番組ではなく、ドキュメンタリー番組やドラマが好きな子どもは、好奇心旺盛で語彙も豊富。授業を盛り上げてくれるムードメーカーであることも少なくない。
だが、あえて言おう。「テレビ漬けのままでは、ここから先は成績が伸びないよ」。テレビと読書の決定的な違いは、情報に対して「受動的か能動的か」だと思う。テレビは、ボーっと観てもなんとなく理解できるし、最後まで観てしまう。本は意思の力がなければ、最後まで読み通すことはできない。内容の良し悪しにかかわらず、意思の力が介在するかどうかが、知性を高められるかどうかの分水嶺だと思う。
睡眠学習や聞き流し型の英会話教材などには懐疑的である。学習とは、習慣化や効率化ではなく、最後は「意思力を強める」ことにあると信じている。
〔「ムッシュトリイのよもやま話」より抜粋〕
「ちょっとした努力を続けること」と「ちょっとした怠慢を続けること」の違いは、「ちょっとした違い」のようですが、実は物凄く大きな違いがあります。
左の数式(図)をご覧ください。『1.01の法則』は、少しの努力でも1年間続けるとその人の力は37.8倍になり、『0.99の法則』は、少しのサボリを続けるとその人の力は0.03倍になってしまうという例え。その格差は何と1260倍。
人間、2倍の努力をせよと言われてもなかなかできるものではありませんし、仮にできたとしても長続きはしないでしょう。でも、「きのうの1.01倍の努力」なら苦しまずに続けることができるはずです。同じくして、「きのうの0.99倍の怠慢」も、ついつい罪の意識なくやってしまうもの…。
見た目としてはさほど変わらない「少しの努力と怠慢」から生まれる、信じられないほどの大きな結果の格差。日々、「きのうよりちょっとだけがんばろう!」を続けられた人と、「きのうよりちょっと楽をしよう」を続けてしまった人との格差は一目瞭然です。学生も社会人も、受験生もアスリートも…。
〝継続は力なり〟。人の才能は、決して生まれ持ったものではありません。コツコツとした小さな「1.01の努力」という結晶が、一つずつ積み重なって結実した、美しい『継続の花』なのです。
昨今、学校現場やスポーツ指導においての「体罰」が、マスコミや政府などで大きくクローズアップをされていますが、ひとくくりに「体罰」と言っても、そのとらえ方は人によってさまざまです。
私は、小学校で先生に叩かれた経験は星の数ほど。中学校時代は、絶対に叩かないと言われていた先生から、思いっきり平手打ちで叱られたこともあります。でも、そのことでその先生を恨んだことは一度もありません。むしろ叩かれて、「自分は気にかけてもらっている」という喜びを感じ、今でもその苦い経験は「良き思い出」として自分自身の記憶に残っています。(叩かれたい趣味はありませんので誤解なく…(笑)
体罰について言うと、例えは悪いですが「セクハラ」と似た性質を持っているのでは考えます。セクハラは、行う相手によって、セクハラであったりなかったりするというたいへん曖昧なもの。その違いは、「心が通っているかいないか」の一言に尽きるのではないでしょうか。
電車の中で、足を踏まれるととても痛い。でも、その相手が親友だと知った瞬間、「ゴメン!」の一言でその痛みは消えてしまう。つまり、痛みは皮膚で感じるのではなくて、「心」で感じるものなのです。「大丈夫?」といたわりながら背中をさするのは、無意識にその人の心(ハート)をかばっている証ではないでしょうか?
私たち指導者は、何でもかんでも「体罰」と騒ぐのではなく、その前に「心の通った指導ができているか」をしっかりと考えて行動する必要があると思います。
日本の国民が近年、一部の富裕層とそうでない層とに二極化しつつある現象と同様に、大学・高校のレベル、生徒の学力レベルも大きく二極化の一途をたどっています。かつて、テストの採点で、「○×」と「△」の時代から、「○」と「×」だけの時代へ。「真ん中」という概念はどんどん消えていくようです。「上中下」のランク付けから「上下」のみに変わって格差がどんどん拡がり、必然的に二極化していく。ある意味悲しい現実です。
情報を持つ人間はさらに強く、情報を持たない人間はますます弱くなる。トランプの「大富豪」というゲームで、富豪には良いカード、貧民には悪いカードが集まるという現象とよく似ています。
2002年頃から文科省主導で大学の二極化が進められ、ここ最近、難関と呼ばれる大学の入試問題は年々その難易度が高くなり、おいそれと合格することは困難となっています。レベルの高い学生が集中するので、易しい入試問題では差がつかない…というのがその原因です。他方では、少子化の影響で、生徒の確保が困難な大学も年々増大。そうした大学は、受験生を集めるために入試科目を減らしたり、過大なPR費用を掛けたり、ひどい場合には入試すら行わない、などというケースもあります。そして、難関大学と誰でも入れる大学とにどんどん二極化していきます。
つまり、上位の受験生でも油断して一歩足を踏み外せば、「真ん中」はなく、「どん底」にまで落ちてしまう。残酷ですがこれが現実。特進館学院の受験生諸君も、心して学習に取り組んでいきましょう!
『アジアンビューティー』という言葉をお耳にされることはないでしょうか? これまで美しい女性の代名詞と言えば、決まって欧米の女性が筆頭に挙げられることが多かったと思いますが、ここ最近は日本や中国・韓国など、アジアの女性の美しさがとりわけ見直されているようです。私は、女性のお化粧には詳しくありませんが、顔や肌・頭髪など、見える部分にいろいろなものを塗布して、「よくないものをコーティングして隠してしまう」のが西洋的な美容法。その人自身の良いものを中から外へ出し、「内面から美しく見せる」というのが東洋美容の考え方だそうです。日本独自の、「見えないところをおしゃれする」という美しい考え方にも通じます。
世間では今、『コーチング』がさまざまな研修等の場で、オーソドックスなメニューとなっています。指導者が一方的に「この通りにしなさい」という『ティーチング』と比べて、「自分の考えでやらせてみて、困ったらサポートする」というコーチングは本人の意欲を高め、行動や可能性を引き出します。その人自身の内面的能力を培うには、このコーチングが効果的だと言われています。
コーチングの基本は『ほめる』ことだそうです。親子ではなかなかうまくできないこの行為。照れることなくもっと積極的にやってみたいものです。ほめられて、嫌がる子どもはいないのですから…。
~ やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば 人は動かじ ~ ≪山本五十六≫
いよいよ志望校選定の時期となりました。この期間、よく「うちの子はプレッシャーに弱いから、無理して上の学校へ入り、ギリギリでいるよりランクを下げて上位の成績で行かせた方が…」というお声を時折耳にします。納得される方も多いと思いますが、実はこれがとんでもなく大きな〝過ち〟。仮に受験時の偏差値がさほど変わらない2校でも、卒業時の進学先で大きな「違い」が生まれるケースがたいへん多いのが事実です。
中学校の学習と高校の学習は異なりますので、高校入試でギリギリの成績で入った生徒が、3年間ずっと下位の成績という例はあまりありません。よほどでない限り、入学時には多くの生徒のレベルが一旦スタートラインに並びます。ですから、ボーダーの成績で入学した生徒が、高3時にはトップレベルになっていることも珍しくありません。逆に言えば、ランクを下げて上位で入った高校なのに、気がつけば中以下の成績というケースも多々あります。このことは中学・大学受験でも同じように言えるのです。
公立高校のトップ校と2番手校での主要大学合格者数には大きな隔たりあります。少し努力すれば合格できる学校を避けて安全圏の学校を選ぶことは、大きな「ボタンの掛け違い」となります。決して現実的にはならず、高い目標に向けて努力する姿勢こそが、受験のみならず、将来社会人としてスタートした後も成功に直結します。「目標は少しでも高く!」がキーワード。大志を抱いて! みなさんの成功を祈っています。