キンシ、キンシは禁止したい!

得てして大人というものは、子どもたちに「○○はダメ」、「××をしてはいけません」、「△△禁止」などと、ついつい発してしまう愚かな生き物。私はこのような一方的な大人のことを、『禁止主義者』とか『キンシマン』と言って冷視するようにしています。彼らは、常に子どもたちや部下、家族などに厳格な規律を強要し、何かにつけてノーを突き付ける大人たちのことですが、はたしてそれってほんとうに教育と言えるのでしょうか? あえて「痛い思い」をして、初めて学習できることもたくさんあるはずです。その経験が、大人になってからだと、取り返しのつかないことになりかねないと思います。

有名な会津の〝什(じゅう)の掟〟。「年長者の言うことに背いてはなりませぬ」、「虚言をいふ事はなりませぬ」等々…。先人の大切な教えですが、できれば現代の子どもたちには、「なりませぬ」ではなく、「…しましょう!」などの肯定的な言葉で伝えてあげたいもの。

私たちは、子どもたちに過剰な規則を強要したリ、禁止教育で縛ったりするのではなく、一人ひとりの個性を重視し、成功体験だけではなく、時には失敗も経験させることこそが、本物の教育であり、現代の子どもたちに必要なやり方であると考えています。

クリーンであってほしいなぁ~

いよいよ国政選挙が近いのか、近くないのか。世間では微妙な空気感が漂っているきょうこの頃。私がまだ30代後半の若かりし頃。たまたま新聞の朝刊に、「○○市長選 立候補者説明会」という記事を見つけて、不謹慎にも興味本位でその会に参加したことがありました。

会場で、3~4名の候補者または代理人らしき方々と、立候補説明を聞いていたのですが、会が終わった途端に、思いがけず数社の新聞記者に囲まれて、まさかの取材攻勢。さすがに「ひやかしで来ました」とは言えないので、「立候補を前向きに検討中です…」とか適当に答えてその場を退場。すると、驚いたことに翌日の朝刊4紙で「塾経営者が新たに市長選に立候補!」みたいな記事が踊り、そこから悲劇が始まります。ほどなく、塾の本部と自宅に、「立候補はやめなさい」といった合成音声や無言電話などの嫌がらせが、毎日数十件も入り、塾と我が家は大パニック状態に。スタッフと家族の身の危険を感じて、すぐに立候補撤回の発表を行いました。この事件以来、私は選挙活動の怖さを身にしみています。こんな経験は、たまたま一部の地域だけの話と信じたいですが、子どもたちの未来のためにも、民主主義の象徴である選挙は、クリーンであってほしいなぁ~とマジメに考えています。

「AI」に仕事を奪われる?

前回に引き続き、「AI」のお話しです。最近我が家の近くで、自動運転実証実験の路線バスが毎日朝から夕方まで走っています。初めは、「大丈夫かよ?」と不安視しましたが、未だに事故等の情報は皆無。反対に、昨日今日と教室前の広い駐車場で、人が運転する車の事故が2件発生。もしや自動運転の方が人より安全? 最近の空港は、AI車イスが普通にあるし…。

海外で、自動運転車が一度でも事故をすると大きなニュースになります。しかしその間に世界中で、人の交通事故が何万件も起きていることもまた事実。エレベーターのように、車も自動が当たり前…なんて時代がやって来るのも、そう遠くないのかもしれません。

休日に家族で行ったバーミヤンで、大型のルンバみたいな「ネコ型配膳ロボ」が酸辣湯麺を運んできて少し驚きました。この外食チェーンは人手不足解消の切り札として、このネコ(1匹なんと400万円!)を3000台も購入。10年使うと400万円でも1か月3万円程度なので高くはないのだそうです。しかもこのネコ、超ゆっくりと料理を運んでくるのに皆さんイライラもせず、ニコニコ笑顔で待っている。もしもこれが人だったら、「早よ持って来んか!」と叫ぶのでは? こういう分野のAIは、数年後を考えると正直コワイ~かもです…。

AIに支配されず共存する

経営者が支配されがちな思想に、「数字至上主義」があります。「数字はウソをつかない」と信じ込んで売上・利益・評点だけを重視し、人の心や愛情・情熱などには一切興味を示さない経営のことです。確かに数字は大切ですが、数字に支配された結果、大手中古車販売会社B社や大手芸能事務所J社などの巨大企業が、愚かに一瞬で破綻したこともまた事実です。

日本語には「塩梅(あんばい)」という言葉があります。「数字と人心」、「デジタルとアナログ」、「AIと人間知能」、「リアルとリモート」など…。どちらか一方ではなく、各々を絶妙の塩梅で共存させる。これこそが、日本の匠の技「ハイブリッド」であり、今後人類が進めるべき最重要課題だと思います。先日ご紹介した、「東京五輪で日本人が調理した選手村料理が最高においしいのに、上海冬期五輪でAIが作った料理はおいしくない」という話しもしかり。

昨今何かと、生成AI・人工知能等を人類の脅威として扱う節がありますが、私はそんなに敵視しなくても、お互いの長所を活かし合えばよいのでは…と考えています。だから、AIのことを、「エーアイ」などと読まずに「アイ(愛)」と読んであげてもよいのじゃないかと…。「お前の考えは甘い!」って叱られそうですが。(汗)

不祥事を隠す経営者の愚

ネットやテレビのニュースなどで毎日のように世間を騒がせているのが、有名人や大企業における不祥事報道です。大手中古車販売会社の不正事件、大手芸能事務所の性加害事件、大学部員の不祥事等々…、枚挙にいとまがありません。

人が行うことに、失敗はつきものです。失敗をしない人間など、私は、米倉涼子以外には聞いたことがありません。(笑) 過ちを犯してしまったこと自体、結果的に元には戻せません。しかし、多くは起こした不祥事よりも、隠蔽・情報操作・自己中心的発言など、「起こした後の対応の不誠実さ」で大きな批判を浴びることが、よくある傾向なのではないでしょうか。

お恥ずかしい話ですが、私も以前に経営していた進学塾(特進館学院ではありません)で、いくつかの不祥事がありました。警察や裁判所のお世話になるくらいの、塾の存亡に関わる大事件もありました。そんな時に必ず私が行ったのは、迷わずに「すべてを即日包み隠さず公開し、誠意をもって謝罪する」ことと「心のケアに努める」。ただただそれだけでした。

隠蔽や情報操作などは必ずバレて、バッシングはそれ以上に拡がります。経営者たちは、なぜそのことに気付かないのでしょうか? ほんとうに愚かで、同じ日本人として悲しくなります。

失敗は、進化の母

みなさんご承知の通り、マイナンバーカードをめぐる様々なトラブルのニュースが、日々賑わいをみせ、「こんなカードを使っても本当に大丈夫?」と、不安に感じる人も多いのではないでしょうか。行政の対応が遅いこともありますが、トラブルの大方はヒューマンエラーが原因です。厚労省は、マイナ保険証の誤登録が2021年10月~22年11月に7312件あったと発表。これをメディアが、「7312件も誤登録があった」と大々的に報道し、カードシステムに無知な人が返納。それをまたメディアがネガティブ報道するという始末。しかし、カード交付数8997万件(5月時点)中の誤登録の割合はわずか「0.008%」=「12500件に1件のミス」が実状で、これは宝くじの高額当選レベルの確率です。私はむしろ、「役所の人たちは、よくがんばった」と称賛してあげてもよい成績ではないかと考えています。

人々は常に「無謬性(=ノーミス)」を追求しますが、人間の行うことに完璧はありません。むしろ、人類はこのような誤りを犯すたびに悩み苦しんで、それを教訓としながらさまざまな研鑽努力を繰り返して成長し、今なお「進化」を続けることができているのだと思います。

「失敗は、進化の母」。だから、ミスは自分の糧にして、毎日ポジティブに生きていきましょう!

「法」のもつ意義

「法」のもつ意義はさまざまです。法は社会の秩序を維持するための枠組みとして存在し、法によって、権利や義務・禁止事項が明確化されることで、個々の行動が社会に与える影響を制約することができ、これによって、社会の安定や公共の利益が守られるのです……と、少々固苦しい書き出しになってしまいました。(汗) 法とは、国が定める「法律」や自治体の「条例」のこと。企業や組織の「規定」・「規約」、村の「掟」なども、広い意味で法と考えてよいのかもしれません。大ざっぱに言うと、法もある種の「ルール」です。

では、何のために法やルールは存在するのでしょうか? 多くの人は、「守らない人を取り締まるため」とか、「反した人に罰を与えるため」と答えるのでしょうが、私はそうではなく、法で「してはいけないこと」を定めることによって、「できることを明確化する」ためであると考えています。つまり、「法に定まっていないこと」=「してもよいこと」なのです。世の中に、法の代わりに、「してもよいことリスト」しかなかったとすれば、私たちの生活や行動は極端に制限されてしまうはずです。

家庭にもいくつかのルールがありますよね。それらは「やっていいこと、いけないこと」を区別し、家族間をスムーズに回していくための潤滑油だと考えてみてはいかがでしょうか?

『いつかは…』の言霊(ことだま)

私が生まれた昭和の時代。当時の日本は、現代とは比較にならないほど貧しく、生活必需品などの物資も行き渡らず、公共インフラなども乏しい。少し上の世代なら、ご近所とテレビや電話を共用するような家も少なくありませんでした。かといって、いつも人々は明るく元気で希望に満ちていて、どの家にもたくさんの子どもたちの笑い声が響き渡っていました。だから、決して「不幸」などではなかったと記憶しています。今と比べ、はるかに不便で不自由な時代。当時の一般の人々は、大なり小なりの「我慢」を強いられながら生きていました。もとより、それが当たり前の生活でしたから、特に我慢だとは感じていなかったのかもしれません。

そんな暮らしを、明るく元気に過ごすことができた理由。それは、あの頃の人たちが「常に未来を見つめていた」からであると、私は考えます。「今は苦しくても、この先に必ずステキな未来が待っている」と、みんなが確信して生きていました。その原動力となった言霊。それが、『いつかは…』です。今は貧しくても、「いつかは豊かになって、今よりももっともっと大きな幸せを家族全員で必ずつかむ」ことを信じて…。

特進館学院の生徒たちには、一人ひとりが夢と目標をしっかり持って、『いつかは…』の言霊の力で、志望校の夢をきっとかなえてくれるものと、私は強く心に刻んでいます。

人生何とかなる!

「お天気おじさん」で検索すると、最初に出てくる福井敏雄さん。徳島弁の生真面目キャラが大人気で天気予報や数々のバラエティ番組等で活躍…。初めて出会ったのは1989年の春。当時、私は大阪の塾で週6日の授業と開発・企画の仕事を担当。ある日、「塾の講演会をして、お天気おじさんに講演してもらおう!」という提案が挙がりました。その当時の福井さんは、テレビだけでも『探偵!ナイト…』、『おれたちひょうきん…』、『笑っていい…』など、超人気番組の多数のレギュラーで、塾の講演会などを受けてもらえる見込みは皆無でしたが、若気の至りで、無謀にもアポなしでテレビ局に突撃。しかも本番中に…まるでテロリストです。(笑)ところが奇跡的に会ってくださって、なんと教育講演会の依頼も快諾いただけました。

その頃、私は自らの結婚式の1か月前に媒酌人の恩師が急逝。それを聞かれた福井さんから職場に電話が…「よければ私が代理で仲人をしましょうか?」。そんな訳で平成元年6月25日、私たち夫婦は関西で最も多忙な有名人ご夫妻の媒酌で、温かく和やかな結婚式を挙行。その後、2005年の春に84歳で天国に旅立たれるまで、親子のようにお付き合いいただきました。「あの時、ダメ元で挑戦してよかった」。生涯でいちばんの素敵な思い出です。そう、私の座右の銘は、「人生何とかなる!」

『捨て色』のヒミツ

ユニクロなどの売り場で、「こんなド派手なシャツを誰が買うんだ」みたいな商品を見たことがありますよね? 私はそんなシーンで、「世の中には、こんな奇抜な服を着る変人もいるんやなぁ~」などと勝手に思い込んでいましたが、先日アパレル業界の人の話を伺って、実はそうではなく、『ある戦略』に基づいて行われているということに気付かされました。

店側は、派手な色は売れないことを知っていながら、「わざと売れにくい色を売れ筋の定番色の中に混ぜる」ことで、「より一層定番商品が売れる」ことが、大きな理由なのだそうです。

売れない色や形の商品をわざと店頭に並べるのはアパレル業界では常識で、このような色を『捨て色』と呼んでいます。服に限らず、人はモノを購入するシーンにおいて、必ず別の商品と比較をして、意思決定を行う心理的習性を持っている…とのこと。

物事が思うようにいかなかったり、テストで点数が取れなかったりしたときに、自暴自棄になって、「自分なんかどうせ、いてもいなくてもよい存在だ」なんて投げやりになってしまった経験はないですか? そんな時は、「今回は捨て色になって、奴らに花を持たせてやったぜ!」なんてつぶやいて、心を落ち着かせることもアリなのかもしれませんね。(^o^;)