人それぞれの「価値観」

先日、お気に入りのラーメン屋で「ここのラーメンは最高にウマいので、テレビとかに出たらもっと繁盛しますよ!」と、店長に薦めたら、「そういう短絡的なお客は、決して常連にはならないので興味はない」と即否定されてしまいました。もし自分が店長なら、儲かるのですぐに取材を受け入れるかと…。人にはいろいろな考え方があるのだな~と、妙に納得。また、私が学生の頃、アルバイトしていた会社社長の「がんばったらお前らも社長にしてやるゾ」という激励で、私はメチャメチャがんばりましたが、当時の半数以上のメンバーは、その言葉に何の関心も示していない様子でした。

人は、それぞれに「価値観」を持っています。望むものと望まないもの、欲しいものと欲しくないもの…が人によって異なります。ですから、仮に自分がとても良いと感じても、その価値観を一方的に人に押し付けると、最悪人間関係が壊れる危険性があります。

ひとりの人間ができることなど些細なもの。人間は、周囲にいるたくさんの人々の力に支えられて生きている弱い生き物。だから、自分のことを支えてくれる人々の価値観を慮りながら、思いやりのある人間関係を築いていくことこそが大切な生き方であると、しみじみ思う今日この頃です。

シロクロつける?

漫画家の鳥山明さんが先日亡くなられました。個人的にはアラレちゃん世代ですが、代表作は何といってもマンガ『ドラゴンボール』ですよね? 一般的には、ドラマや映画のヒーローは「最後に必ず勝つ」というのが定番ですが、ドラゴンボール主人公の孫悟空は、「負けることもある」。でも、「絶対あきらめない」という展開が他の作品のストーリーと大きく違う点で、これが世界中のファンの心を魅了し、長きに渡ってヒットし続けてきた理由なのではないでしょうか?

ところでドラマやマンガにかかわらず、私たちは常日頃から勝ち負け、正解不正解、好き嫌い…など、物事や行いに何かと「白黒をつける」という行動に支配され過ぎているのではないかと思います。テストでも「○」か「✕」か、どちらかを決めたがり、昔よくあった「△」的な判定はどんどん排除されていくようで、古い人間としては少し寂しく感じています。

90年頃の流行語の一つに「ファジー(あいまい)」というのがありました。お風呂のお湯の「熱い」と「ぬるい」の間に、絶妙な「いい湯加減」の温度があるように、白と黒の間にあるビミョーな感覚を大切にしながら、毎日を楽しめたらいいなぁ~と考えています。だって、私たち人間はマシンではないのですから…。

「偶然」と「必然」

ずっと前に、「セレンディピティ」というお話をさせていただいたことがあります。幸運にめぐり合うのは単なる偶然でなく、「その人の能力」という考え方のことです。目先の失敗で凹まずに、常にプラス志向で考えることで幸運や成功が訪れる。今回は、「偶然」と「必然」についてのお話しです。身の周りで起きるさまざまな出来事で、「たまたま偶然」と思えることが多々ありますが、それって本当に偶然でしょうか?

関門海峡に生息する「平家ガニ」。その甲らは、まるで人が嘆き怨むような模様で、壇ノ浦の合戦で滅亡した平家の亡霊が乗り移ったという言い伝えから、地元の人々に恐れられていました。ところが、1952年にアメリカの科学者が、怨霊を信じる地元の人々が、「顔に似た模様のカニが網にかかると、恐がって海に放つ」という行為が長年繰り返されたために生き残るチャンスが増えて、人の顔に似て来たのだという説で大きな話題となりました。これを「人為選択的進化論」と言い、平家ガニの甲らの恐い顔の模様は、「偶然ではなく必然できた」という学説です。良いことも悪いことも、「たまたま偶然ではなく、私たちの日々の行動の結果で起こる必然の現象なんだ」と、あらためて考える今日この頃です。

かなえる夢と、かなえない夢

「子どもたちの夢をかなえる進学塾」。実は、夢には2種類あるのをご存じですか?

一般的に、夢というものは「将来は○○になりたい」、「我が子を○○にしたい」など、いくつかの目標を達成した結果として実現できる、人生の最終目標だと考えています。しかし、そのような夢は実現すると同時に夢ではなくなってしまう。これが1つ目の、「かなえる夢」です。だから、かなえる夢はなるべく大きく描いてほしいし、その夢がかなったら、すぐに新たな夢を見つけて、さらなる高めを追求していってほしい。

それに対して、もう一つの夢は「かなえない夢」です。「翼で自由に空を飛びたい」、「ほしいものが何でも手に入る」、「世界を征服する」などのように、現実的ではなく、かなう可能性は限りなく低い壮大な夢。それでも追い求めることで自らの情操を拡げ、心を豊かにしてくれるもの。かなわなくても、落ち込むことはありません。

これら2つの夢を上手に使い分けて、日々の暮らしを努力しながら力強く生きる。それが私たちに与えられた大切なミッションではないでしょうか? そうすれば、世の中がもっと明るく幸福に回転し、悲しい事件やつらい出来事などはもっともっと少なくなる…かも、と一人思い願うきょうこの頃です。

キンシ、キンシは禁止したい!

得てして大人というものは、子どもたちに「○○はダメ」、「××をしてはいけません」、「△△禁止」などと、ついつい発してしまう愚かな生き物。私はこのような一方的な大人のことを、『禁止主義者』とか『キンシマン』と言って冷視するようにしています。彼らは、常に子どもたちや部下、家族などに厳格な規律を強要し、何かにつけてノーを突き付ける大人たちのことですが、はたしてそれってほんとうに教育と言えるのでしょうか? あえて「痛い思い」をして、初めて学習できることもたくさんあるはずです。その経験が、大人になってからだと、取り返しのつかないことになりかねないと思います。

有名な会津の〝什(じゅう)の掟〟。「年長者の言うことに背いてはなりませぬ」、「虚言をいふ事はなりませぬ」等々…。先人の大切な教えですが、できれば現代の子どもたちには、「なりませぬ」ではなく、「…しましょう!」などの肯定的な言葉で伝えてあげたいもの。

私たちは、子どもたちに過剰な規則を強要したリ、禁止教育で縛ったりするのではなく、一人ひとりの個性を重視し、成功体験だけではなく、時には失敗も経験させることこそが、本物の教育であり、現代の子どもたちに必要なやり方であると考えています。

クリーンであってほしいなぁ~

いよいよ国政選挙が近いのか、近くないのか。世間では微妙な空気感が漂っているきょうこの頃。私がまだ30代後半の若かりし頃。たまたま新聞の朝刊に、「○○市長選 立候補者説明会」という記事を見つけて、不謹慎にも興味本位でその会に参加したことがありました。

会場で、3~4名の候補者または代理人らしき方々と、立候補説明を聞いていたのですが、会が終わった途端に、思いがけず数社の新聞記者に囲まれて、まさかの取材攻勢。さすがに「ひやかしで来ました」とは言えないので、「立候補を前向きに検討中です…」とか適当に答えてその場を退場。すると、驚いたことに翌日の朝刊4紙で「塾経営者が新たに市長選に立候補!」みたいな記事が踊り、そこから悲劇が始まります。ほどなく、塾の本部と自宅に、「立候補はやめなさい」といった合成音声や無言電話などの嫌がらせが、毎日数十件も入り、塾と我が家は大パニック状態に。スタッフと家族の身の危険を感じて、すぐに立候補撤回の発表を行いました。この事件以来、私は選挙活動の怖さを身にしみています。こんな経験は、たまたま一部の地域だけの話と信じたいですが、子どもたちの未来のためにも、民主主義の象徴である選挙は、クリーンであってほしいなぁ~とマジメに考えています。

「AI」に仕事を奪われる?

前回に引き続き、「AI」のお話しです。最近我が家の近くで、自動運転実証実験の路線バスが毎日朝から夕方まで走っています。初めは、「大丈夫かよ?」と不安視しましたが、未だに事故等の情報は皆無。反対に、昨日今日と教室前の広い駐車場で、人が運転する車の事故が2件発生。もしや自動運転の方が人より安全? 最近の空港は、AI車イスが普通にあるし…。

海外で、自動運転車が一度でも事故をすると大きなニュースになります。しかしその間に世界中で、人の交通事故が何万件も起きていることもまた事実。エレベーターのように、車も自動が当たり前…なんて時代がやって来るのも、そう遠くないのかもしれません。

休日に家族で行ったバーミヤンで、大型のルンバみたいな「ネコ型配膳ロボ」が酸辣湯麺を運んできて少し驚きました。この外食チェーンは人手不足解消の切り札として、このネコ(1匹なんと400万円!)を3000台も購入。10年使うと400万円でも1か月3万円程度なので高くはないのだそうです。しかもこのネコ、超ゆっくりと料理を運んでくるのに皆さんイライラもせず、ニコニコ笑顔で待っている。もしもこれが人だったら、「早よ持って来んか!」と叫ぶのでは? こういう分野のAIは、数年後を考えると正直コワイ~かもです…。

AIに支配されず共存する

経営者が支配されがちな思想に、「数字至上主義」があります。「数字はウソをつかない」と信じ込んで売上・利益・評点だけを重視し、人の心や愛情・情熱などには一切興味を示さない経営のことです。確かに数字は大切ですが、数字に支配された結果、大手中古車販売会社B社や大手芸能事務所J社などの巨大企業が、愚かに一瞬で破綻したこともまた事実です。

日本語には「塩梅(あんばい)」という言葉があります。「数字と人心」、「デジタルとアナログ」、「AIと人間知能」、「リアルとリモート」など…。どちらか一方ではなく、各々を絶妙の塩梅で共存させる。これこそが、日本の匠の技「ハイブリッド」であり、今後人類が進めるべき最重要課題だと思います。先日ご紹介した、「東京五輪で日本人が調理した選手村料理が最高においしいのに、上海冬期五輪でAIが作った料理はおいしくない」という話しもしかり。

昨今何かと、生成AI・人工知能等を人類の脅威として扱う節がありますが、私はそんなに敵視しなくても、お互いの長所を活かし合えばよいのでは…と考えています。だから、AIのことを、「エーアイ」などと読まずに「アイ(愛)」と読んであげてもよいのじゃないかと…。「お前の考えは甘い!」って叱られそうですが。(汗)

不祥事を隠す経営者の愚

ネットやテレビのニュースなどで毎日のように世間を騒がせているのが、有名人や大企業における不祥事報道です。大手中古車販売会社の不正事件、大手芸能事務所の性加害事件、大学部員の不祥事等々…、枚挙にいとまがありません。

人が行うことに、失敗はつきものです。失敗をしない人間など、私は、米倉涼子以外には聞いたことがありません。(笑) 過ちを犯してしまったこと自体、結果的に元には戻せません。しかし、多くは起こした不祥事よりも、隠蔽・情報操作・自己中心的発言など、「起こした後の対応の不誠実さ」で大きな批判を浴びることが、よくある傾向なのではないでしょうか。

お恥ずかしい話ですが、私も以前に経営していた進学塾(特進館学院ではありません)で、いくつかの不祥事がありました。警察や裁判所のお世話になるくらいの、塾の存亡に関わる大事件もありました。そんな時に必ず私が行ったのは、迷わずに「すべてを即日包み隠さず公開し、誠意をもって謝罪する」ことと「心のケアに努める」。ただただそれだけでした。

隠蔽や情報操作などは必ずバレて、バッシングはそれ以上に拡がります。経営者たちは、なぜそのことに気付かないのでしょうか? ほんとうに愚かで、同じ日本人として悲しくなります。

失敗は、進化の母

みなさんご承知の通り、マイナンバーカードをめぐる様々なトラブルのニュースが、日々賑わいをみせ、「こんなカードを使っても本当に大丈夫?」と、不安に感じる人も多いのではないでしょうか。行政の対応が遅いこともありますが、トラブルの大方はヒューマンエラーが原因です。厚労省は、マイナ保険証の誤登録が2021年10月~22年11月に7312件あったと発表。これをメディアが、「7312件も誤登録があった」と大々的に報道し、カードシステムに無知な人が返納。それをまたメディアがネガティブ報道するという始末。しかし、カード交付数8997万件(5月時点)中の誤登録の割合はわずか「0.008%」=「12500件に1件のミス」が実状で、これは宝くじの高額当選レベルの確率です。私はむしろ、「役所の人たちは、よくがんばった」と称賛してあげてもよい成績ではないかと考えています。

人々は常に「無謬性(=ノーミス)」を追求しますが、人間の行うことに完璧はありません。むしろ、人類はこのような誤りを犯すたびに悩み苦しんで、それを教訓としながらさまざまな研鑽努力を繰り返して成長し、今なお「進化」を続けることができているのだと思います。

「失敗は、進化の母」。だから、ミスは自分の糧にして、毎日ポジティブに生きていきましょう!