「1%の悪意」に屈しない

今だからお話しできますが、私が以前に経営していた進学塾(仮に「進学塾A」とします)の塾生保護者の中に、塾がやることにいつもクレームを言ってくるお父さんがいました。今で言う「モンスター●●」です。そのおかげで、明らかに生徒たちに有意義なものでも、新たな企画を行うとスグにその人から電話が鳴るので、当時の社員たちは萎縮。「他塾との差別化」を柱に、斬新な政策を進める進学塾Aは、平凡な「普通の塾」へと成り下がっていきました。

先日、あるメディアのアンケートで、「隣の某大国が、最近1000発以上のミサイルを日本に向けている現実を不快に感じますか?」という問いに、「不快に感じない」と回答する日本人が数%もあったのを見て、たいへん驚きました。世の中にはそういう人が一部いるものです。

昨今、「SDGs」が叫ばれる中で、「多様性」や「マイノリティ」の尊重など、「少数派の意見を大事にせよ!」的な考えが、世界的な風潮となりつつありますが、個人的には、少数派の考えにとらわれ過ぎて、肝心な多数派の意見を排除することは、民主主義の否定のようで、どうも納得がいきません。

特進館学院は、先ほどのクレームお父さんのような「1%の悪意」を恐れて、99%の子どもたちを犠牲にするような、誤った道へ進むつもりなどは1ミリもありませんのでどうぞご安心ください!

ストレスがある人は、幸せな人

以前、「勝利する人の共通点」についてお話ししました。アスリートも受験生も、勝利する人は必ず「楽しんでいる」という内容でした。【代表北村のちょこっとコラム(2018.12)参照】
そこで、最近私が発見した新しい「勝利の方程式」について、こっそりとお知らせします。みなさんには、悩みや困りごとなど「ストレス」がありますか? おそらく、まったくない人などいないのではないでしょうか? でも、それでいいのです!たとえば10m先の空き缶に石を当てるのと、空き缶に当てずに1 ミリ手前に石を落とすのではどちらが難しいですか?
100 点満点を取るよりも、99 点で止める方がはるかに難しい。何が言いたいのかというと、「何もかも完ぺきだと、結果的にはダメになる」というお話です。マグロやウナギ・マダイなどの養殖で、ご承知の通り日本の水産技術は世界最高水準。養殖魚が天然魚並みの引き締った身となる秘密は、「養殖網に少しだけ天敵を入れる」ことだそうです。安穏な環境で育てるのではなく、あえてストレスを与えることで、良質で美味しい魚に成長する。そういえば、アコヤ貝に異物の核を無理に入れてストレスを与え、その結果できる産物が、あの美しい「真珠」であると伊勢志摩の方に聞きました。多少のストレスを持つ方が、人は成長できる。そう考えると、ちょっと幸せな気分になれるのでは…と考えますがいかがですか?

アカン人たち共通の言葉グセ

ヒトの脳細胞は、およそ140億個あると言われています。脳は生まれてから12年~15年で成長のピークを迎え、20歳で脳の質量は1400g前後になります。140億個あるヒトの脳細胞は、成人後は一切増えず、毎日約10万個ずつ死滅していくそうです。そのペースで死滅すると、脳細胞がすべてなくなるまでに何年掛かるでしょう? 答えは「383年」です。

日本がいかに長寿国でも最高齢は118歳。383年の3割程度です。だから、自分の脳を今の3倍以上酷使しても全然問題ないという理屈。使えば使うほど、脳は磨かれます。

私が、今までに出会った人々の中で、「コイツは成功しないなぁ」とか「アカンなぁ」、「伸びないなぁ」と、ついイライラしてしまうタイプの人に共通する言葉グセがあります。それは、「いま何時ですか?」、「きょう何曜ですか?」みたいな質問です。すぐにわかることでもアタマを使わず、他人に頼ることが常習化している人。自分の脳を甘やかして、ほとんど新品脳のままで人生を終えようとする。アカン人たちの典型です。「それくらい自分で考えろ!」と言いたくなります。加えて、「どうしたらいい?」という口グセにもイラッとします。相手に頼らず、せめて「AかBのどちらがいい?」または「Aでいい?」ではないでしょうか? 脳を甘やかすことは、自分の夢や目標を捨てるに等しい行為だと考えています。

「名を名乗れ!」と言いたい

世界中の人々に多くの感動を与えてくれた東京2020が閉幕し、東京パラリンピックへとバトンが渡されました。コロナ禍での五輪反対報道や、開会後も多くの騒動がありましたが、結果的には、開催できて大正解だったと、勝手に思っています。^^;

五輪開催中に気になったのが、見事メダルを獲得した選手や結果が振るわなかったなど、アスリートへの心無い誹謗中傷のSMSが飛び交ったこと。個人的なものから国家ぐるみのものまで。それらのSMSによる攻撃のほぼすべてが“匿名”での投稿だったそうです。

自らは匿名で守られながら、相手を一方的に追い詰めるのは、最も醜く卑怯で最低の行為。このような理不尽なSMSで、精神的に追い込まれて、最悪自殺に至るという悲劇も、年間数百件はあるとのこと。これはもう、殺人行為と言っても過言ではないと思います。

百点満点の人間はいません。だから、時には叱咤されることも必要ですが、それが本人のいない場所や匿名で呟かれては何の解決にも繋がりません。せめて「名を名乗れ!」と言いたい。言いたいことがあれば、正々堂々と目の前の相手に向かって伝える。それが、道理だと思います。「褒め口は目の前、叱咤悪口は影で」ではなく、特進館学院は、「叱咤は目の前、褒め口は影で」の姿勢を実践していきたいと考えています。

先生と呼ばれても、謙虚に

世の中にあるたくさんの職業の中で、「先生」と呼ばれて働く職業がいくつかあります。教師・医師・弁護士・政治家・作家など…。僭越ながら、塾のお仕事もその一つです。だから、塾の世界では新人社員も、最初から「先生」と呼ばれながら働くことになります。

今から30数年前、大阪の塾に入社した当時、私はそのことに違和感を抱いていました。なぜなら、街で若い同僚の塾教師同士で「先生」と呼び合っていると、街の人から不思議な視線を浴びる。それがとても嫌でした。

「先生」と呼ばれて、気分を悪くする人はいません。しかし、それで自分が偉くなったみたいな錯覚に陥って、分不相応に人に傲慢に接したリ、人の心を傷つけたりするような言動は絶対に許されません。

「先生」と呼ばれる仕事は、お客さまから頭を下げてもらって、かつお客さまから代金をいただく。自分から頭を下げて「ありがとうございます」と言葉を発する機会もあまりありません。だからこそ、特進館学院で働く私たちは、「先生」と呼ばれながらも、誰よりも「謙虚」でありたいと考えています。保護者のみなさんを、笑顔で元気よく「ありがとうございました!」とお送りする。これが、私たちのポリシーなのです。

『専門化』の長所と弊害

特進館学院の先生の特徴に、「一人が複数教科を担当できる」という点があります。私が以前経営していた塾では、「一人1教科担当」で専門性の高さを売りにしていました。しかし、近年の入試問題は多様化が進んで、教科の枠組みがどんどんなくなり、数学とか社会という縦割りの指導スタイルだけでは対応できなくなった。これが、複数教科担当制の大きな理由です。教科の仕切りが「壁」から「ついたて」に変わり、「理系」・「文系」の区別がなくなり、高い所から全体を眺めないと良い指導はできない。教育は今、そんな時代となりました。

コロナ禍において、例の専門家会議が評価されないのは、メンバーが「感染症科の専門医のみで他の病気が見えない」ことにあると言われています。医師会の影響で、近年の病院が〇〇科・△△科など、次々と専門化・分業化されていくのは良し悪し。昔のように、「内科」みたいな総合的な枠組みの病院や医師が、こんな時こそ必要なのでは…と考えます。

医師の仕事はわかりませんが、私たち教師が指導教科を細かく分けて専門化するとすれば、その理由は、「担当を狭めて楽をしたい」以外の何ものでもありません。多少、問題発言かもしれませんが…。スペシャリストからゼネラリストへ。教育のあり方について、今一度、考え直してみたいと思う今日この頃です。

「多店舗展開塾」の落とし穴

特進館学院が、意味なく校舎数を増やさない理由の一つに、「教務サービス低下の懸念」があります。『働き方改革』が叫ばれる昨今ですが、この引き金となったのが「膨大な残業の強制」による不幸な出来事の頻発にあったのではないかと思います。

多店舗展開塾の教師の仕事には、少なからず校舎間や本部などとの「移動」があります。加えて、拠点が多くなれば社内のコミュニケーションの希薄さを克服するための「会議」を頻繁に開催することになります。移動も会議も、それぞれ長い時間を要します。

塾の教師は、それらに加えて「授業」という最も重要なミッションがあります。つまり、「移動と会議と授業」で1日8時間をほぼ消化。休憩時間も取れずにパンを片手に大急ぎで車で校舎へ疾走…なんて始末に。以前の私がそうでした。(汗) その結果、授業の準備や教室運営・研修などの全体業務は当然長時間残業で…ということになります。塾業界には残業月100時間超のブラック塾が数多。そんな状況で、教師は心も体も疲弊し、生徒によい授業を行うことなど不可能です。特進館学院は、ご承知のように1校舎。意味のない会議や移動はなく、残業もほとんどありません。だから、私たちは健全な心身で『教務に打ち込む』ことができる。たったそれだけのことです。

まるでメディアは「ダメな親」

ちょっと前の話ですが、私と中3塾生との立ち話で、こんなやり取りがありました。

「Sさん。今回の期末、めちゃがんばったやん!」、(S:泣き崩れる)、「どうしたん?」、S「がんばったのに、ママが全然ほめてくれへん…」。どうやらお母さんは、彼女が5科で100点以上伸びたことをスルー、一番低い点の教科を指摘して娘を叱ったようでした。これは、はっきり言ってお母さんが悪い! 自暴自棄に陥りそうな彼女を必死でフォロー。何とか収まりましたが、こういうところから勉強嫌いや反抗期が始まる…と感じました。

そう言えば最近、テレビなどメディアの報道があまりに酷い。コロナ報道では、国民ががんばって感染対策をして陽性者数が減少しても、「先週より増加」、「重症者数は○○名」、「(一番少なかった)昨年の○月○日と比べて●●倍」、「でも変異ウイルスガー」とかで、たまに良い数字が出ても、すぐにゴールポストを動かして、絶対に「がんばりましたね!」と、ほめる言葉などまったくなく、常に視聴者をあおる報道ばかりでもうウンザリ…。

まるでメディアは「ダメな親」。そんなテレビ番組のキャスターやコメンテーターのネガティブワードの影響を受けて、「ほめずに叱るだけの親」なんかにはならないように…と心から祈っています。

無料のワナは、不幸の始まり…

ここのところ、毎日のように折り込まれる学習塾の生徒募集チラシ。ご多分に漏れず、携帯会社かと見間違うほど「●●無料」のオンパレード。「タダやからおいで!」って、「人をバカにしとんか!」と言い返したくなりません?

昨年の秋、タダ同然のサプリをネットで衝動買い。でも、全く効果がなかったのでコールセンターに電話したら、「お客様。この商品は5か月継続しないと解約できない契約で…」と言われて唖然。しかも2回目からは毎月8,926円。確認しなかった自分が悪いのですが、不幸な私は総額4万円以上を今も払い続けています。(涙)

先日もお話しをしましたが、十数年前に私がある塾を経営していた頃、生徒数140名くらいの分教室の近くに新しい塾が出店し、「無料」連呼に生徒4人がダマされて転塾。結果、その子たちは不幸なことに、誰一人として志望校に合格できなかったという、苦い過去もあります。

「塾は安ければそれでいい?」。そんな訳ないですよね。知らない人に、「お菓子をあげるからついておいで」みたいなワナにハマると、必ず不幸な悲劇を招きますよね。無料のワナは、不幸の始まりタダほど不吉なものはない。私たちは、子どもたちに「幸せ」を導く進学塾として、愚直に取り組んでまいります。

コンビニ型でなく、デパート型へ

たとえば、牛乳は近くのコンビニかスーパーで買いますよね。では、スーツやバッグを買うときはどうでしょう? たぶん、スーパーではなく、休日などに時間と交通費を費やして、都会の大きなデパートへ行って、じっくりと選びたい方が多いのではないでしょうか?

一般に塾の商圏(通塾エリア)は、「半径2km」程度といいます。これは、自転車や徒歩で十分通える距離。ところが、特進館学院の塾生は、「半径25km」のエリアから通ってくれていて、自転車や徒歩は2割未満。本来なら、このエリアに10数か所の分教室があってもおかしくないのですが、ご承知の通り『1教室』です。

牛乳はコンビニで買うのに、スーツはデパートで買う理由は、多少遠くても〝妥協せずに自分に一番合う良い商品を選びたい〟からだと思います。私たちは、そんな「こだわり」を持つみなさんに選んでいただけるような、『デパート型の進学塾』を目指しています。「遠くから時間をかけて通っても、それだけの価値がある」と言っていただけるような存在となるため、これからも真摯に努力を続けていきたいと考えています。