お子様の『がくりょく』をつけてください!…「塾が何を今さら」と思われるかも? 申し上げたいのは『学力』でなく『顎力』、つまり「アゴの力」です。
「最近の子どもは頑張りがきかない」とよく言われますが、「頑張れない」、つまり歯を食いしばって我慢できず、すぐに諦めてしまう。この原因は、ハンバーグなどの柔らかい食べ物ばかり好むのでアゴの力が発達しないこと。だから、勉強も頑張れない。
歯医者さんの話ですので、間違いないと思います。ぜひ一度、ご家庭で話し合ってみてください。
たとえば、学校などでマスコミを騒がせたワードを時代別に並べてみますと、『落ちこぼれ』、『校内暴力』、『不登校』、『いじめ』、『キレる』、『恐喝』、そして最近では『殺傷事件』など、どんどんエスカレートしています。これらの社会問題は子どもたちの『顎力』、つまり『我慢力』の欠乏に負うものではないでしょうか?
子どもたちの体格は、昔よりも明らかに良いのに、『顎力』が低下している。大きな問題だと思います。スパゲティもいいけれど、たまには、かためのお食事?…もご検討されてみてはいかがでしょうか?
「誤り」を持ち越さない【代表北村の教育ちょこっとコラム】
受験学年の授業は基本的に予習が前提。問題を単に「解く」だけでなく、「答案作成力」を習熟させることが重要になる。ただ、生徒によっては、まずは「解く力を養う」ことに注力してしまう。
難易度の高い問題も多数あるが、解説時に、「よく似た問題を前にもやったけど…」と言うと、解けない生徒は「えっ、そうやったっけ?」という表情。解けた生徒は「うんうん」とうなずく。
もちろん以前とは別問題で難度も上がるが、着眼点は同じ。常に基本事項が背景。ただし、問題文からはその基本事項をもとに考えることに気づきにくい良問で、以前も「この考え方は重要だよ」と伝えている。
一度間違えることは何の問題もない。2回目に解けるか否かが重要で、そこに大きな違いが出る。解けない生徒には、もう一度「これをしっかり理解するんだ」という解説になって、答案作成力の話までなかなかたどり着けない。
「誤りを明日に持ち越さない」ことは基本中の基本。これを実践していくのはなかなか難しいけれど、諦めずに根気よく取り組むことこそが私たちの使命である。
模試の徹底活用法【生徒必読】【代表北村の教育ちょこっとコラム】
本番の入試で自分の実力通りの得点を挙げるのは容易ではありません。試験の点数は実力通りに出るものではないのです。緊張して固まってしまう人。時間に追われると、あわてて問題に手がつかなくなる人。不注意なミスで点数をぽろぽろと失う人。時間配分が下手で、ほんとうは解ける問題に手をつけずに終わってしまう人……。みなさんも、一つぐらいは心当たりがあるのではないでしょうか。こうしたいろいろなことは、実際に試験を受けてみないとなかなかわかりません。やってみると思ったほどうまくいかないものなのです。実力通りの点数を取るにも、それなりの準備は必要だということですね。
そういう練習ができるのは、模試だけです。だから、なるべく積極的に受けることを心がけて、経験値を高めておくようにしてください。ときどき偏差値や順位で評価されることを嫌がって、模試を受けたがらない人を見かけますが、そういう態度は間違っています。模試はいい成績を取って安心するためよりも、むしろ自分に何ができないか、自分はどんな失敗をするのかを知るための〝チャンス〟だと考えてください。
失敗から学んで、それを次の機会に活かしていくことによって、「本番の入試で自分の実力通りの得点を挙げる力」がついてくるのです。
〔「すべての人に最適な学びを」より抜粋〕
塾の先生に必要な〝3本の矢〟【代表北村の教育ちょこっとコラム】
塾を選ぶ時に、最も重要視するのは〝先生〟であることは言うまでもありません。では、その先生のよし悪しは何で決まると思いますか?…この質問に、ほとんどの人は「授業」と答えるのではないでしょうか? しかし、授業だけで「よい先生」と決めつけるのは、実は重大な誤りなのです。
「授業がわかりやすい」ことはとても大事ですが、私たちはプロなのですから当然のこと。もう一つの大切なことは、「いかに生徒の心を理解し、ケアーできるか」という力です。先生が授業だけを磨いても、生徒の成績は絶対に上がりません。授業以外の時間に生徒一人ひとりに温かく接して、やる気を育むことができるか否か。これができてこそよい先生であり、そんな先生に恵まれた塾でなければ、志望校への夢は決して叶いません。
自分の結婚式に招待する先生を、「授業がうまいから」という理由では選びません。招待したい理由は、「先生に心を支えられた」、「先生に強く励まされた」、「先生が好きだから」など…。これ、本音ですよね!
塾の先生に必要な〝3本の矢〟とは、「授業」と「心のケアー」と「情報力」。この〝3本の矢〟を、授業だけに偏らせることなく、生徒たちを「行きたい学校」へ導くために、塾の先生は日々努力を続けていくことが使命だと考えています。
テストで実力を発揮する法【代表北村の教育ちょこっとコラム】
1.戦略を立てる
カギは解く順番と時間配分。数学(算数)は1番から解く必要なし。国語は問題文を先に読んでから文章を追うのもあり。
2.当日は、朝からテストモードに
朝食はテスト2時間前までに必ずとる。服装にも配慮。忘れ物がないかを余裕を持って確認する。
3.細部まで見る力が「テスト力」
最後まで問題を読む。答え方注意!(言葉か記号か、正しい記号か誤りの記号か)テストの中に答えはかくれている。
4.テストは見直しによって決まる
全体の7~8割の時間で問題を解き、残りの時間で見直す。一度書いた答えは忘れ、初めて解くつもりで見直す。
5.終わった教科は気にしない
気持ちをすぐに次の教科へと切り替える。友だちと答え合せは時間のムダ。あとのテストに悪影響する。
6.その他
「うまく」でなく「ていねい」に書く/漢字指定などに注意/誤字脱字・単位忘れ・大文字小文字などに注意/解答らんに絶対空らんを残さない/問題用紙に裏面がないかチェック…
知性を高める強い「意思の力」【代表北村の教育ちょこっとコラム】
ある中学受験専門塾の塾長が、学習・生活時間を調査したところ、小6の家庭学習は週平均15時間。塾関連の学習が週15時間。学校に通う時間を加えると、明らかに労働基準法の週40時間規定は超過している。小5はというと、家庭学習が週5時間以内という生徒が少なくない。まだ進級したばかりなので、「これからの指導次第」というのが正直な感想だ。
それ以上に驚いたのが、テレビの視聴時間だ。こちらは「週5時間程度」と「週15時間以上」に回答が集中。「ふたこぶラクダ」型のグラフになった。かといって、必ずしもテレビ視聴時間の長い生徒の成績が悪いとはいえない。特にアニメやお笑い番組ではなく、ドキュメンタリー番組やドラマが好きな子どもは、好奇心旺盛で語彙も豊富。授業を盛り上げてくれるムードメーカーであることも少なくない。
だが、あえて言おう。「テレビ漬けのままでは、ここから先は成績が伸びないよ」。テレビと読書の決定的な違いは、情報に対して「受動的か能動的か」だと思う。テレビは、ボーっと観てもなんとなく理解できるし、最後まで観てしまう。本は意思の力がなければ、最後まで読み通すことはできない。内容の良し悪しにかかわらず、意思の力が介在するかどうかが、知性を高められるかどうかの分水嶺だと思う。
睡眠学習や聞き流し型の英会話教材などには懐疑的である。学習とは、習慣化や効率化ではなく、最後は「意思力を強める」ことにあると信じている。
〔「ムッシュトリイのよもやま話」より抜粋〕
「少しの努力と怠慢」の格差【代表北村の教育ちょこっとコラム】
「ちょっとした努力を続けること」と「ちょっとした怠慢を続けること」の違いは、「ちょっとした違い」のようですが、実は物凄く大きな違いがあります。
左の数式(図)をご覧ください。『1.01の法則』は、少しの努力でも1年間続けるとその人の力は37.8倍になり、『0.99の法則』は、少しのサボリを続けるとその人の力は0.03倍になってしまうという例え。その格差は何と1260倍。
人間、2倍の努力をせよと言われてもなかなかできるものではありませんし、仮にできたとしても長続きはしないでしょう。でも、「きのうの1.01倍の努力」なら苦しまずに続けることができるはずです。同じくして、「きのうの0.99倍の怠慢」も、ついつい罪の意識なくやってしまうもの…。
見た目としてはさほど変わらない「少しの努力と怠慢」から生まれる、信じられないほどの大きな結果の格差。日々、「きのうよりちょっとだけがんばろう!」を続けられた人と、「きのうよりちょっと楽をしよう」を続けてしまった人との格差は一目瞭然です。学生も社会人も、受験生もアスリートも…。
〝継続は力なり〟。人の才能は、決して生まれ持ったものではありません。コツコツとした小さな「1.01の努力」という結晶が、一つずつ積み重なって結実した、美しい『継続の花』なのです。
「体罰」について考える【代表北村の教育ちょこっとコラム】
昨今、学校現場やスポーツ指導においての「体罰」が、マスコミや政府などで大きくクローズアップをされていますが、ひとくくりに「体罰」と言っても、そのとらえ方は人によってさまざまです。
私は、小学校で先生に叩かれた経験は星の数ほど。中学校時代は、絶対に叩かないと言われていた先生から、思いっきり平手打ちで叱られたこともあります。でも、そのことでその先生を恨んだことは一度もありません。むしろ叩かれて、「自分は気にかけてもらっている」という喜びを感じ、今でもその苦い経験は「良き思い出」として自分自身の記憶に残っています。(叩かれたい趣味はありませんので誤解なく…(笑)
体罰について言うと、例えは悪いですが「セクハラ」と似た性質を持っているのでは考えます。セクハラは、行う相手によって、セクハラであったりなかったりするというたいへん曖昧なもの。その違いは、「心が通っているかいないか」の一言に尽きるのではないでしょうか。
電車の中で、足を踏まれるととても痛い。でも、その相手が親友だと知った瞬間、「ゴメン!」の一言でその痛みは消えてしまう。つまり、痛みは皮膚で感じるのではなくて、「心」で感じるものなのです。「大丈夫?」といたわりながら背中をさするのは、無意識にその人の心(ハート)をかばっている証ではないでしょうか?
私たち指導者は、何でもかんでも「体罰」と騒ぐのではなく、その前に「心の通った指導ができているか」をしっかりと考えて行動する必要があると思います。
ますます進む『二極化』現象【代表北村の教育ちょこっとコラム】
日本の国民が近年、一部の富裕層とそうでない層とに二極化しつつある現象と同様に、大学・高校のレベル、生徒の学力レベルも大きく二極化の一途をたどっています。かつて、テストの採点で、「○×」と「△」の時代から、「○」と「×」だけの時代へ。「真ん中」という概念はどんどん消えていくようです。「上中下」のランク付けから「上下」のみに変わって格差がどんどん拡がり、必然的に二極化していく。ある意味悲しい現実です。
情報を持つ人間はさらに強く、情報を持たない人間はますます弱くなる。トランプの「大富豪」というゲームで、富豪には良いカード、貧民には悪いカードが集まるという現象とよく似ています。
2002年頃から文科省主導で大学の二極化が進められ、ここ最近、難関と呼ばれる大学の入試問題は年々その難易度が高くなり、おいそれと合格することは困難となっています。レベルの高い学生が集中するので、易しい入試問題では差がつかない…というのがその原因です。他方では、少子化の影響で、生徒の確保が困難な大学も年々増大。そうした大学は、受験生を集めるために入試科目を減らしたり、過大なPR費用を掛けたり、ひどい場合には入試すら行わない、などというケースもあります。そして、難関大学と誰でも入れる大学とにどんどん二極化していきます。
つまり、上位の受験生でも油断して一歩足を踏み外せば、「真ん中」はなく、「どん底」にまで落ちてしまう。残酷ですがこれが現実。特進館学院の受験生諸君も、心して学習に取り組んでいきましょう!
基本は〝ほめる〟こと【代表北村の教育ちょこっとコラム】
『アジアンビューティー』という言葉をお耳にされることはないでしょうか? これまで美しい女性の代名詞と言えば、決まって欧米の女性が筆頭に挙げられることが多かったと思いますが、ここ最近は日本や中国・韓国など、アジアの女性の美しさがとりわけ見直されているようです。私は、女性のお化粧には詳しくありませんが、顔や肌・頭髪など、見える部分にいろいろなものを塗布して、「よくないものをコーティングして隠してしまう」のが西洋的な美容法。その人自身の良いものを中から外へ出し、「内面から美しく見せる」というのが東洋美容の考え方だそうです。日本独自の、「見えないところをおしゃれする」という美しい考え方にも通じます。
世間では今、『コーチング』がさまざまな研修等の場で、オーソドックスなメニューとなっています。指導者が一方的に「この通りにしなさい」という『ティーチング』と比べて、「自分の考えでやらせてみて、困ったらサポートする」というコーチングは本人の意欲を高め、行動や可能性を引き出します。その人自身の内面的能力を培うには、このコーチングが効果的だと言われています。
コーチングの基本は『ほめる』ことだそうです。親子ではなかなかうまくできないこの行為。照れることなくもっと積極的にやってみたいものです。ほめられて、嫌がる子どもはいないのですから…。
~ やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば 人は動かじ ~ ≪山本五十六≫