将棋の谷川浩司永世名人の言う、「『負けました』と頭を下げられない子は強くなれません」という言葉に強く感銘を受けた。子どもはなかなか「負けました」とか「ごめんなさい」と素直に言えないものだ。その気持ちはよくわかる。でも悔しさをこらえて、「負けました。ありがとうございました」と声に出したところから、「次こそは負けないぞ」という反省と闘志がわき出てくる。「所詮は将棋」と言われればその通りかもしれないが、「負けました」も言わずに立ち去るのはマナー違反だし、勝った方も気分がよくない。
同じことが塾の子どもたちを見ていてもいえる。テストで失敗したとき、「死んだ~」「終わった~」とぼやき、死んだ仲間同士で傷をなめ合う子や、その結果をすぐに忘れようとする子は、なかなか成績が伸びない。一方で、負けを負けと認め、すぐに解き直しを始める子や悔し涙を流す子、「なんでこんなばかなミスをしたんだろ!」と自分を責める子は、必ずといっていいほど成績が伸びる。
「悔しい」「うれしい」という気持ちを素直に受け止め、「次こそは」「次もまた」と振り返ることこそが、本当の意味での学習の基本なんじゃないかな…と思う。
レストランやカフェの『味』って【代表北村の教育ちょこっとコラム】
私たちが「授業」と同等に大切にすべきことは、生徒•保護者への声掛けや相談などの、親身のコミュニケーション。やる気が起きる教室環境や設備等々…。それらがシナジー効果となって初めて、「いい授業」が生まれます。そうでなければ、家庭教師やweb授業•通信添削などに押されて、塾はとっくに消えているはず。でも、違いますよね。
塾もレストランも、「お客さまに喜んでいただく」というコンセプトは同じです。授業を磨きながらも、まわりの環境にしっかり配慮を行う。これらが整ってこそ、本当の「いい塾」になれると信じています。
大計得(おおはからえ)と小計得(こはからえ)【代表北村の教育ちょこっとコラム】
国や企業のトップが教訓としている格言に、『大計得と小計得』というものがあります。
沖縄琉球の礎を創った蔡温(さいおん)は、次のような言葉を残しています。「目先の課題に対処する小計得ではこの国を安定させることはできない。琉球の長久を目指すためには、大計得を堅持することが必須条件である」と。目の前の損失を見るだけの短慮=「小計得」に陥るのではなく、将来を冷徹に見通す遠慮=「大計得」を持つことが、最も重要な課題であるという意味なのです。つまり、「目先の損得に惑わされるのではなく、将来を泰然と大きく見通す力を持つ人材を備えることこそが、国の将来を決する」とも読み取れます。これは沖縄だけに限らず、新潟長岡を救った小林虎三郎の「米百俵の精神」も有名であり、今の我が国全体にもふさわしい教訓だと思います。
小さい頃に学んだことは、必ず記憶の底に残ります。「将来を見通す力」を身に付けさせる人材育成、すなわち『教育』に力を注ぐことこそが、私たちに明るい未来をもたらす「大計得」なのではないでしょうか?
この「教育」という崇高なミッションを背負いながらも、ついつい目先の物事「小計得」にばかり気を取られ、「大計得」のできない自分を反省している、今日この頃です。
もう、「頂上のない山」には登らない【代表北村の教育ちょこっとコラム】
ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、私は以前、この地域でナンバー1と言われる大手進学塾を経営していました。しかし、9年前に某企業と提携し、3年後にその企業との経営方針の不一致で会社を追われ、一時は破産寸前の状況に陥落。
その後、全国の大手塾長の支援によって再び立ち上げた進学塾が、言うまでもなくこの「特進館学院」なのですが、以前の私は、自分が経営する塾を「どんどん大きくしていく」ことが最善策であると考え、ひたすらそのために邁進していました。
しかし考えてみると、「大きくする」という目標には終着点がありません。生徒数3000名超を達成すると、次は5000名、そして10000名、20000名…。いつまでたってもゴールがない。まるで頂上の見えない山に登るようなもの。おまけに、生徒たちとの距離もどんどん遠くなる…。会社を失い、6年前に再スタートをしてから、初めてこのことに気が付きました。
ですから、これからの特進館学院は、限りなく拡大する塾として生きるのではなく、生徒・保護者との距離が近い「誰よりも人を愛し、人を大切にする進学塾」として発展させていきたいと考えています。「頂上のない山」ではなく、「小さくても素敵な山」を目指します。だって、今がいちばん充実していますから♪
世界と日本の出会いと別れ【代表北村の教育ちょこっとコラム】
日本で1日に生まれる赤ちゃんの数は2,934人、死亡する人の数は3,279人。
その差は345人。若干ですが死者の方が上回っていて、このままでは将来の日本の人口減少は避けられなさそうです。
しかし世界の1日の出生数と死亡数を比較すると、出生数が死亡数を大きく上回り、驚くべきことに、出生数は死亡数の2倍以上の数になります。近年、その人口増加のスピードが、未来の食糧危機を引き起こすとも言われています。
人口増加の爆発的なスピードは、年代別の世界人口の変化を見ると一目瞭然です。
地球で養える世界人口は一部の学者の中で約80億人と言われていますが、その人口に到達するのは2024年予定です。食糧問題のタイムリミットは、刻一刻と迫ってきているのかもしれません。
世界の1日の〇〇ランキングを見ると中国が婚姻数・離婚数・死亡者数で断トツ。さすが世界人口数ナンバー1の13億人が生活している国だとうなずけます。ちなみに2022年以降は、インドが世界最多の国になると予想されています。
新高1生のみなさんへ【代表北村の教育ちょこっとコラム】
新高1生のみなさん、長らくの受験勉強ほんとうにおつかれさまでした。すでに進路が決まっている人。3月19日の合格発表で晴れて行き先が決まる人。思いはそれぞれですが、輝かしい高校生活は目前です。しっかり気持ちをリフレッシュし、真っ白なキャンバスに新たな夢を描いてください。
高校生活は、スタートダッシュが肝心。その成功のカギは春休み中の予習にあります。これから始まる、高校3年間を大きく左右する重要なポイントとなるのが、高校最初の定期テストです。ここで校内上位の成績を残し、幸先の良いスタートを切ることができれば、大きな手ごたえと自信を得て波に乗ることができます。そのために、この春休み期間を使って取り組みたいのが、高校内容の予習。例えば、中間テスト範囲の英語の全文訳を作ってしまえば、入学後に余裕を持って授業に臨め、常に優位に立って学習を進めることができます。
逆に春休み中、予習に手をつけずに高校生活に突入すると、行事が多く落ち着かない雰囲気の中、予習復習や大量の宿題、忙しい部活動に追われて学習ベースをつかめないまま、ズルズルと落ち込んでいく危険もあります。
高校受験と違って、大学受験は『高1の学習で決まる!』とも言われています。ですから春休みは、充実した3年間と志望校現役合格のための重要な第1歩。まずは定期テストを目標に計画を立て、予習を進めていくことができるよう心掛けましょう。もちろん、特進館学院がこれからもしっかりとサポートします!
「あかんと言うたらあかん!」【代表北村の教育ちょこっとコラム】
普段の授業や恒例「やる気UP講座」などで、私がいつも生徒たちに呼びかけているのが、『ポジティブに考えよう』というキャンペーン。子どもたちは、ちょっとしたことですぐに「無理」とか「できない」などという言葉を口にすることが多いので、そういう生徒には、「1回につき100円の罰金をいただきます」と言って、いつも脅迫をしています。(笑)
昔、ある靴メーカーがアフリカの奥地の村に靴を売りに行く時の話。営業マンのネガ夫君が村の様子を見て、「誰も靴を履いていないので、靴は売れない」と挫折して帰国。その後、ポジ太君が再び同じ村に行って大喜び。「この村は誰も靴を履いていないから、靴がバカ売れする!」。案の定、靴は飛ぶように売れたそうです。よくあるネタ話ですが、極寒のアラスカで冷蔵庫(食品を凍らせないため)を売りまくって大儲けをした人の話も有名です。
ちょっとした考え方の違いで、結果が大きく変わる。以前に、「セレンディピティ」のお話をしましたが、プラス発想を持つか否かの違いは、学習面はもちろん、人生そのものを大きく左右すると言っても言い過ぎではないと思います。
だから、私は生徒たちにいつもこう言います。「あかんと言うたらあかん!」と。
雑草のようにたくましく【代表北村の教育ちょこっとコラム】
ヒマワリは一年草ですが、タンポポは多年草。ヒマワリは夏にしか花を咲かせませんが、タンポポは冬でも花を咲かせます。タンポポは根元あたりで切り取ってもまた葉を出しますが、ヒマワリは一度折れてしまうとおしまいです。タンポポの種は風に乗って遠くまで飛びますが、ヒマワリは落ちもしないで花のまま残っています。ヒマワリはやわらかい土でしか成長ができませんが、タンポポは固い地面やアスファルトの隙間からでも芽を出します。ヒマワリは、種をまいて育てられますが、タンポポの種をまく人は誰もいません。いわゆる〝雑草〟です。見た目での派手さはないですが、ヒマワリに比べてタンポポは、どの草花にも負けない強さを持っています。
ちょっとしたことですぐに心が折れてしまう、まるでガラス細工のような子どもたちが多くなった近頃ですが私は、日々生徒たちの顔を見るたびに、いつもこのように願っています。「君たちは、雑草のようにたくましく育ってほしい」。そうです、『挫折禁止』です!
「成績が上がってない」って、本当?【代表北村の教育ちょこっとコラム】
中学生は、ただ今期末テスト期間の真っただ中。特に受験を控えた中3生にとっては、今回のテストで内申点が最終確定するということもあって、彼らの表情は真剣そのもの。学校が終わって、夕方4時を過ぎる頃から続々とやってきて、夜も毎日数十名の生徒が最終の11時まで自主学習に取り組んでいます。
特進館学院の最近の調査では、通知表総点〔3学期末→1学期末〕が上がった生徒は全体のおよそ75~80%。にもかかわらず、保護者アンケート等の感触で、わが子の成績が上がったと認識されている方は3割程度しかありません。成績が下がったと伺って調べてみると、実は上がっていた…などということも珍しくありません。
以前にもお話ししたように、親はなかなかわが子の成果を認めず、ついついアラを探して辛口評価してしまう傾向にあります。1教科下がって4教科上がった場合でも、主観的評価では「下がった」またはせいぜい「トントン」。全教科をパーフェクトに上げない限り認めてもらえない。もしこれが日常だとしたら、毎日何時間もがんばっている子どもたちにとって、たまったものではありません。
「うちの子の成績は本当に上がっていないのか?」。主観ではなく、客観的な視点で子どもたちの成果を見極めていきたいものですね。
セレンディピティ【代表北村の教育ちょこっとコラム】
「禍福はあざなえる縄のごとし」ということわざがあります。「幸せと不幸せは表裏一体で、縄の目のように交代でやって来る」という意味ですが、果たして本当にそうでしょうか? むしろ、幸せな人はいつも幸せで、不幸な人は常に不幸に苦しんでいることが世の中多いのでは、と感じることがよくあります。
『セレンディピティ』という言葉をご存じですか? 辞書には、「珍しい宝を発見する力」、「幸運を引き寄せる能力」とあります。つまり、幸運にめぐり合うのは単なる偶然ではなく、その人の「能力」であるという考え方です。
ある製薬会社の研究員が、3つの班に分かれて「新薬D」を開発するための実験を行っていました。テーマは、「AとBを混ぜて、まずCを作る」というもの。結果は1班が成功で、2班・3班は失敗。ところが、失敗した2班は暗い顔で沈んでいるのに、3班は嬉しそうな表情。不思議に思った教授が、3班のメンバーになぜ笑っているのか尋ねたところ、「Cにならなかった液体を、さらに調べてみたら、なんと新薬Dだった」とのこと。
目先の失敗で凹まずに、プラス志向で調べた結果の大成功。これが、幸運を呼び寄せる「セレンディピティ」なのです。日本のノーベル賞科学者の多くも、このような失敗を山ほど経て、偉大な発見にたどり着いているといいます。ちなみに、念のため後で調べたら、失敗した2班にも新薬Dができていたそうです…。