「法」のもつ意義

「法」のもつ意義はさまざまです。法は社会の秩序を維持するための枠組みとして存在し、法によって、権利や義務・禁止事項が明確化されることで、個々の行動が社会に与える影響を制約することができ、これによって、社会の安定や公共の利益が守られるのです……と、少々固苦しい書き出しになってしまいました。(汗) 法とは、国が定める「法律」や自治体の「条例」のこと。企業や組織の「規定」・「規約」、村の「掟」なども、広い意味で法と考えてよいのかもしれません。大ざっぱに言うと、法もある種の「ルール」です。

では、何のために法やルールは存在するのでしょうか? 多くの人は、「守らない人を取り締まるため」とか、「反した人に罰を与えるため」と答えるのでしょうが、私はそうではなく、法で「してはいけないこと」を定めることによって、「できることを明確化する」ためであると考えています。つまり、「法に定まっていないこと」=「してもよいこと」なのです。世の中に、法の代わりに、「してもよいことリスト」しかなかったとすれば、私たちの生活や行動は極端に制限されてしまうはずです。

家庭にもいくつかのルールがありますよね。それらは「やっていいこと、いけないこと」を区別し、家族間をスムーズに回していくための潤滑油だと考えてみてはいかがでしょうか?

『いつかは…』の言霊(ことだま)

私が生まれた昭和の時代。当時の日本は、現代とは比較にならないほど貧しく、生活必需品などの物資も行き渡らず、公共インフラなども乏しい。少し上の世代なら、ご近所とテレビや電話を共用するような家も少なくありませんでした。かといって、いつも人々は明るく元気で希望に満ちていて、どの家にもたくさんの子どもたちの笑い声が響き渡っていました。だから、決して「不幸」などではなかったと記憶しています。今と比べ、はるかに不便で不自由な時代。当時の一般の人々は、大なり小なりの「我慢」を強いられながら生きていました。もとより、それが当たり前の生活でしたから、特に我慢だとは感じていなかったのかもしれません。

そんな暮らしを、明るく元気に過ごすことができた理由。それは、あの頃の人たちが「常に未来を見つめていた」からであると、私は考えます。「今は苦しくても、この先に必ずステキな未来が待っている」と、みんなが確信して生きていました。その原動力となった言霊。それが、『いつかは…』です。今は貧しくても、「いつかは豊かになって、今よりももっともっと大きな幸せを家族全員で必ずつかむ」ことを信じて…。

特進館学院の生徒たちには、一人ひとりが夢と目標をしっかり持って、『いつかは…』の言霊の力で、志望校の夢をきっとかなえてくれるものと、私は強く心に刻んでいます。

人生何とかなる!

「お天気おじさん」で検索すると、最初に出てくる福井敏雄さん。徳島弁の生真面目キャラが大人気で天気予報や数々のバラエティ番組等で活躍…。初めて出会ったのは1989年の春。当時、私は大阪の塾で週6日の授業と開発・企画の仕事を担当。ある日、「塾の講演会をして、お天気おじさんに講演してもらおう!」という提案が挙がりました。その当時の福井さんは、テレビだけでも『探偵!ナイト…』、『おれたちひょうきん…』、『笑っていい…』など、超人気番組の多数のレギュラーで、塾の講演会などを受けてもらえる見込みは皆無でしたが、若気の至りで、無謀にもアポなしでテレビ局に突撃。しかも本番中に…まるでテロリストです。(笑)ところが奇跡的に会ってくださって、なんと教育講演会の依頼も快諾いただけました。

その頃、私は自らの結婚式の1か月前に媒酌人の恩師が急逝。それを聞かれた福井さんから職場に電話が…「よければ私が代理で仲人をしましょうか?」。そんな訳で平成元年6月25日、私たち夫婦は関西で最も多忙な有名人ご夫妻の媒酌で、温かく和やかな結婚式を挙行。その後、2005年の春に84歳で天国に旅立たれるまで、親子のようにお付き合いいただきました。「あの時、ダメ元で挑戦してよかった」。生涯でいちばんの素敵な思い出です。そう、私の座右の銘は、「人生何とかなる!」