「村八分」の由来
「村八分」という言葉はご存知でも、その由来はあまり知られていないのではないでしょうか?
村八分は、江戸時代に村のルールを破った者に対して行われた懲らしめで、村の「十分」ある交際の内、「冠・婚礼・出産・病気・建築・水害・年忌・旅行」の「八分」を断絶するという意味から生まれました。そのような状況でも、交際を続けた残りの「二分」は、「葬式・火事」。火事や家族の死は人生最大の難苦であり、この二分までを絶つことは、人道的にも許されなかったのでしょう。
非難炎上を承知の上で申し上げます! 昨今、一部の左翼活動家による安倍元首相の「国葬反対」という大きな声を、テレビ・新聞等のメディアが取り上げて大々的に報道し、その声に世論までが動かされようとしています。憲政史上最長の8年8か月間首相を務めた安倍さんが、暗殺という形で非業の死を遂げたことは事実です。なのに、本人が望んだわけでもない国葬が理由で、もう反論ができない死者に鞭打つような理不尽な攻撃は、この上なく卑怯な振る舞いとしか考えられません。村八分のように、善悪にかかわらず死者の魂には畏怖の念を抱くことが日本の慣わしでした。死者を敬い、葬儀は静かにしめやかに見守るのが日本人の心なのでは。「東京五輪は反対、上海五輪はスルー」の活動も同じ。意味不明だと思うのは私だけでしょうか?
特進館通信vol.131 9月号
【高校部】特進館通信vol.131 9月号
利き手・目・耳・足を活用しよう!
「“利き手”はどちらですか?」と聞かれて悩む人はいないと思います。でも、“効き目”や“利き耳”や“利き足”を聞かれると、ちょっと考えてしまいますよね? ヒトの体は左右対称でなく、体のパーツは左右どちらかが優位になっています。では、その“利き◯”の見つけ方をお話しします。
まずは利き目。両手を重ねてすき間を作り、そこから何か1点を見つめます。そして、片目ずつ交互に閉じたとき、両目で見た時とのズレが少ない方が利き目。次に利き耳。これはざっくり携帯を持つ側の耳です。最後に利き足。リラックスして両足を揃えて立ち、体を前に倒した時に出た足が利き足だとのこと。
英単語や漢字などを、声に出したり紙に書いたりして覚えますよね。紙に書く時、わざと利き手でない方の手で書くと、脳が刺激されて暗記しやすくなるようです。また、テストの問題や論説文などは、利き目を意識して文章を読むと、集中力が増すとも言われています。
このように、自分の体のパーツをうまく活用し、学習に取り組んでみてはいかがですか?あくまで私の個人的見解ですが、もしかして暗記が苦手な人が、短時間で覚えられるようになったり、集中力が持続したりして、すてきな学習効果が表れる…かもしれません。結果はもちろん自己責任です。でも、ぜひお試しください!
特進館通信vol.130 8月号
【高校部】特進館通信vol.130 8月号
あかりの大切さ その2
前回に引き続き「あかりの大切さ」について語ります。私が、大阪の学習塾に入社して1年少し過ぎた時期。当時その塾は「S教室が開校3年目なのに生徒数が70名しかいない」という問題を抱えていました。駅近の人通りの多い商店街で立地は決して悪くない。担当教師も塾内の精鋭揃い。なのに、まったく生徒が増えません。その頃、まだ駆け出し教師だった私は、恐れ多くも学院長に、「教室長を私に代えてください!」と暴言。叱られると思いきや、学院長は何とその申し出を受理して、北村新教室長が誕生。3~4か月後に念願の100名を上回る生徒数を達成できました。
こう言うとただの自慢話ですが、教室長になって私が行った取り組みはただ一つ、「教室を明るくすること」。この教室の生徒は、比較的表情が暗いのが気がかりでした。その原因は、廊下が薄暗いからでは?…と考え、蛍光灯の本数を2倍にして、物理的に教室を明るく変えました。結果、子どもたちや先生の表情が徐々に明るくなり、教室に活気が生まれて多くの生徒が集まったのです。この特進館学院でも、新校舎に移転して1年後の2017年頃。それまで増えていた生徒数の伸びが1年以上止まったので、入口廊下のLED照明を2倍に増設。その結果、以前同様に入塾生が増えていきました。節電はもちろん大切です、でも、あかりは物を照らすだけでなく、「人の心にしみ込むパワー」があるのでは…と考えています。