「村八分」という言葉はご存知でも、その由来はあまり知られていないのではないでしょうか?
村八分は、江戸時代に村のルールを破った者に対して行われた懲らしめで、村の「十分」ある交際の内、「冠・婚礼・出産・病気・建築・水害・年忌・旅行」の「八分」を断絶するという意味から生まれました。そのような状況でも、交際を続けた残りの「二分」は、「葬式・火事」。火事や家族の死は人生最大の難苦であり、この二分までを絶つことは、人道的にも許されなかったのでしょう。
非難炎上を承知の上で申し上げます! 昨今、一部の左翼活動家による安倍元首相の「国葬反対」という大きな声を、テレビ・新聞等のメディアが取り上げて大々的に報道し、その声に世論までが動かされようとしています。憲政史上最長の8年8か月間首相を務めた安倍さんが、暗殺という形で非業の死を遂げたことは事実です。なのに、本人が望んだわけでもない国葬が理由で、もう反論ができない死者に鞭打つような理不尽な攻撃は、この上なく卑怯な振る舞いとしか考えられません。村八分のように、善悪にかかわらず死者の魂には畏怖の念を抱くことが日本の慣わしでした。死者を敬い、葬儀は静かにしめやかに見守るのが日本人の心なのでは。「東京五輪は反対、上海五輪はスルー」の活動も同じ。意味不明だと思うのは私だけでしょうか?